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【沿革】
1911年(明治44年) - 名古屋いとう呉服店(現在の松坂屋)に「音楽隊」が誕生
1938年(昭和13年) - 拠点を東京に移し、「中央交響楽団」に改称
1941年(昭和16年) - 秋シーズンより「東京交響楽団」に改称
1944年(昭和19年)11月29日 - この日の第33回定期公演を以て定期演奏会を中止、以後の演奏会は臨時公演に
1945年(昭和20年)3月10日 - 東京大空襲で芝区御成門にあった練習所が焼失。当日はベルリオーズの「ファウストの劫罰」日本初演が予定されていた 1945年(昭和20年)9月
- 「東京都フィルハーモニー管弦楽団」として復活
1946年(昭和21年)7月 - 東京都フィルの母体である東京都音楽団解散。アーニー・パイル劇場専属のオーケストラとなる。
1946年(昭和21年)11月
- 「東京フィルハーモニー交響楽団」に改称。
1948年(昭和23年)4月20日 -東京フィルハーモニー交響楽団としての第1回定期公演
1952年(昭和27年)12月 - 財団法人東京フィルハーモニー交響楽団となる
1973年(昭和48年)10月 - 東南アジア方面(香港、マニラ、シンガポール、クアラルンプール)へ初の海外公演
1989年(平成元年) - Bunkamuraとフランチャイズ提携。オーチャードホールを本拠地に。
1996年(平成8年) - 千葉市と事業提携。
1997年(平成9年) - 東京・初台に新国立劇場が誕生。オペラ・バレエなどの公演を主に行うこの劇場での管弦楽伴奏の仕事が増えたこともあり、事務局・練習場を、隣接する東京オペラシティに移す。
2001年(平成13年)- 新星日本交響楽団と合併。財団法人の名称を「新星東京フィルハーモニー交響楽団」と改称。財団理事長に、東京フィル理事長の大賀典雄、副理事長には新星日本交響楽団理事長であった黒柳徹子が就いた。新楽団の名称には、「東京フィルハーモニー交響楽団」が使われることとなる。それまでの東京フィルハーモニー交響楽団と新星日本交響楽団の楽員・事務局員すべてが新財団に引き継がれ、定期演奏会も、両楽団のそれまでの定期演奏会の回数が合算されて600回を超えた。
2004年(平成16年) - 長野県軽井沢町と事業提携。軽井沢大賀ホールで演奏会を行う。
■定期演奏会を中心とする自主公演
定期演奏会を中心とする自主公演では、世界で活躍する第一級の指揮者・ソリストによる最高水準の演奏を行っています。またプログラムも古典から20世紀作品、現代作品までを幅広く取り上げるとともに、聴衆のニーズに即応した企画で多彩な演奏活動を展開しています。また、1989年より、Bunkamuraオーチャードホールとの間に日本で初めてのフランチャイズ提携を実現しました。
■オペラコンチェルタンテ・シリーズ
1992年にスタートした演奏会形式のオペラシリーズ。その斬新な音楽感と、長年オペラ演奏で培われた東京フィルの特徴がみごとに結合したといえるシリーズで、数々の日本初演、原語上演日本初演を行うなどそのステージは常に注目を集め、高く評価されています。95年には「ヒンデミット3部作」(写真
林喜代種)により「第50回記念文化庁芸術祭大賞」を受賞いたしました。
■オペラ・バレエ演奏
オペラ・バレエ演奏の歴史も古く、戦前より盛んな活動を続けています。伝統に培われた豊潤な響きは日本オペラ・バレエ界にとって不可欠の存在となっています。また、1997年に開場した日本初のオペラハウス「新国立劇場」のレギュラー・オーケストラとしても中心的な役割を果たしています。
■海外公演
1973年東南アジア公演、84、89、94年と3回のヨーロッパ公演を行い、
17カ国で70回の公演を実施。特に、大野和士指揮による94年の公演では現地の音楽関係者から「世界のファーストクラスのオーケストラ」と絶賛されました。
■地域文化振興
地域での文化交流の一環として、移動定期演奏会を名古屋で1992年よりにて行っています。千葉市・東京都文京区・埼玉県和光市と事業提携を結び、千葉市定期演奏会、室内楽コンサート、市民との交流を図るワークショップなど、地域との創造的な文化交流を展開しています。
また、より東京フィルの音楽を親しんでいただくために、青少年の音楽鑑賞教室、ポップス・コンサート、サロン・コンサートなども開催しています。
■放送演奏・レコーディングなど
NHKを中心とした放送演奏も行なっています。長寿番組『名曲アルバム』も、そのほとんどの演奏が東京フィル」です。その他の番組やCD録音も数多く、東京フィルの演奏は様々なかたちで親しまれています。
(東京フィルハーモニー交響楽団HPより)
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