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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
Gewandhausorchester Leipzig

設立年 1743年

常任指揮者 リッカルド・シャイー (2005年〜)
Riccardo Chailly

リッカルド・
シャイー
リッカルド・シャイーは1953年イタリア・ミラノに生まれる。父親は作曲家のルチアーノ・シャイー。14歳で指揮者としての活動を始める。1982年から88年までベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)の首席指揮者を務めた。1988年9月、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に指名されて以来、20世紀の作品群や前衛作品を含む幅広いレパートリーで、このオーケストラを名声を高めてきた。1999年には、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の音楽監督に就任、若いオーケストラとともに今後、新たな活動が期待される。また2005年からはヘルベルト・ブロムシュテットの後を受け、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者に就任、 大きなスケール、且つしっかりとした構成感を再現しつつも、細部まで精巧に作られた彼の音楽は多くの聴衆から支持されている。

楽団紹介

ドレスデンやベルリンのシュターツカペレとともにドイツで最も古いオーケストラの一つです。宮廷のオペラ劇場に属さないコンサート・オーケストラとしては最古のものに数えられます。1743年に「大コンサート」というコンサートシリーズが16人編成のアンサンブルで始められ、これがゲヴァントハウス管弦楽団の起源となりました。この「大コンサート」は1781年に織物会館(ゲヴァントハウス)内にできたホールに移り、大きな発展を遂げてきました。

1835年にはメンデルスゾーンが指揮者を務め。自作の交響曲第3番、ヴァイオリン協奏曲の他、シューマンの交響曲第1、2、4番、シューベルトの「ザ・グレイト」等が初演されました。メンデルスゾーンが38歳の若さで世を去ったあと、1860年から95年までカール・ライネッケが指揮者を務め、その間の1884年には新しいコンサートホール「ゲヴァントハウス」が造られそこへ本拠地を移した。1895年から22年まではアルトゥール・ニキシュが、1922年にはヴィルヘルム・フルトヴェングラー、1928年からはブルーノ・ワルター、その後、ヘルマン・アーベントロートが務めた。戦後はヘルベル・アルベルト、フランツ・コンヴィチュニー、ヴァーツラフ・ノイマンと続き、1970年からはクルト・マズアが音楽監督を務めた。

東西ドイツ統一後は、優秀な団員の多くが金銭面などで有利な西側のオーケストラに流出したことなどもあり、一時期は技術的水準がかなり落ち込むこととなってしまったが、マズアの後任のヘルベルト・ブロムシュテットがカペルマイスターに就任後は、彼による綿密なトレーニングの成果もあり、技術的水準を回復することとなった。2005年秋からリッカルド・シャイーが指揮者に就任しており、更なる飛躍が期待されている。


ディスコグラフィ ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団


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